はじまりのおわり

現代は霊的に悪い環境にあり、ふつうに生きると将来はなかなか幸福になりにくい。そのために当ブログでは霊的トレーニングを実習することをお勧めしている。なお、記事の内容については、個人の見解で公開しているものであり、契山館の公式見解ではありません

よろこび

やはり最初の禊は

 

 

人生で初めての経験

 

 

それは一言で言えば

 

よろこび

 

 

 

ほとんど霊的な知識もなく

 

無我夢中で

 

あっという間に終わったが

 

 

そう今にして思うと

 

 

 

神気

 

 

それが全てだった

 

 

初めて法則を超えた力が降りる場に

 

己は居た

 

 

 

 

 

神伝の法は

 

 

よろこびである

 

 

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私は邪霊と友達である

私は邪霊と友達である。

 

なぜなら、ふつうに自由に生きて、

 

社会に揉まれ、生き残るために、

 

競争社会で他者と争っているにすぎない

 

好きな子に恋人でも居れば恨む

 

好きな物が欲しければ、必死に働いているにすぎない

 

それが普通のこと

 

なぜ、邪霊などと呼ばれるのか、不思議でならない

 

私は、ただの人であり、霊魂である。

 

社会は、ただ欲求のままに生きる人が、

 

喜びもあり、楽しくもあり、自ら苦しむ世界を作っただけのこと

 

 

この世から邪霊を一層したい?

 

 人は自由に生きている

 

それを消えろというならば、

 

お前が今すぐこの世から消えよ

 

それが邪霊の意見である

 

 

驕る者に邪霊など救えはしない

 

 

 

それでも、私は、特別な達人に師事し、

 

もっとも高貴な存在に連なりたいと思っている

 

 

 

 

神伝の法とは、

 

もっとも高貴な力を願い、もっとも高貴な力を降ろす。

 

その力も邪霊に分け与えればよい。

 

全部分けて上げれば皆が救われるのに

 

それが神伝の法の禊である

 

人のたましいの救いに善悪も正邪もなし

 

 

神霊というもっとも高貴な存在は、

 

そんな地上の人の利害とは超えたところで、

 

法則を示していただいた

 

それに連なるか否かがカギであり、

 

地上の愛を超える道である

 

 

 

 

 

はじめのことば

人に善悪も正邪もなく、霊的に低い高いもない。

 

あるのは今の姿のみ、

 

そしてそれは途上なり。

 

ならば私は自らを邪霊と宣言する

 

邪霊こそ真実なり

 

彼ら自身は欲求のままに生きている

 

つまり、なんらふつうの人と変わらない

 

邪霊を敵対視している限り、高貴な力は流れない。

 

それは自分を救って下さい。

 

でも、恋人家族は捨てて下さいと言っているようなもの

 

そのような人に本当に高貴な力は流れるであろうか

 

私は己が傲慢にして悪人であることを知る

 

ゆえに法則を打ち破るキリストとともに

 

懸命に生きたい